「幸福の最大化」
私は哲学的な思考が好きで、子供の頃から「人は何のために生きているのだろう?」などと、よく考えていました。
最初に思いついたのは確か「子孫を残すため」だったと思いますが、人は子供を作ること以外にも頑張りますし、子供が欲しくない人もいるので、どうも違うようでした。
そこで次に考えたのが「幸せになるため」で、人の行動は全て幸せになるために行われているのではないかと考えました。
遊ぶことも、仕事をすることも、ご飯を食べることも、トイレに行くことも、お風呂に入ることも、それをしないと幸福が増えない、もしくは下ってしまうからそうしているんだな、と。
自分では画期的?な大発見でしたが、実はこの考えは新しいものではなく、「人は幸福になるために生きている」というのは哲学の世界では有名な考え方でした。
確かに、普通に考えて不幸になるために生きている人はいないですし、この考え方が私には一番しっくりきました。
そのため、私が考える根本的な物事の考え方は、「どうすれば幸せになるか?」「幸せが増えるか?」を基準としており、経営理念も「幸福の最大化」という言葉を使用しています。
「人」を幸せにする???
さて、「人は幸福になるために生きている」というと、なんだか「当たり前だ」と思われそうですし、実際にそうなのですが、そこは少しだけ人とは違う哲学的思考が好きな私ですので、よくある「人を幸せにする」といった考え方には否定的です。
なぜかというと、「幸せは人間だけのものではないから」です。
もし、幸福が価値を持つのであれば、それは「幸福を感じることができるすべての者」にとって価値を持つはずです。
例えば白人の幸福に価値があり、黒人の幸福に価値はないという人がいたらどうでしょうか?
あるいは、男の幸せは重要だけど、女の幸せは重要でないという人がいたらどうでしょうか?
どうもおかしいですよね。
だって白人も黒人も、男も女も幸福を感じる訳ですから、どちらも同じように幸福であるべきです。
だとするならば、例えば犬や猫、牛や豚だって幸福を感じる訳ですから、彼らの幸福にも当然価値があり、彼らの幸福にも人間と同じような配慮が必要です。
わざわざ「人」という言葉を使って「人を幸せにする」なんていってしまうと、まるで「白人を幸せにする」と言っているのと変わらない、人間中心的で「人間さえ幸せならそれでいい」という、なんだか差別的な宣言のような気がします。
いやいや、「人間は他の動物とは違って特別なんだ」なんて言ってしまう人もいますが、幸福に価値があるのであれば、それが人間という種族の幸福であるか、それ以外の種族の幸福であるかは関係がありません。
人間の幸福だけが重要だという考え方は、ただ自分たちが所属している「にんげん」という集団をえこひいきしているだけで、いわゆる「差別」に該当します。
そんな訳で、私の考える「幸福の最大化」とは、幸せの対象を「人間」という一種族に限定しておらず、「幸福を感じるすべての者の幸福を最大化する」という意味です。
もちろん、そもそも人間以外で「幸福を感じる者」が誰なのかは生物学上も明確ではありませんし、全ての者を幸福にすることは不可能でしょう。
それでも、それが仮に不可能であったとしても、私たちが目指さなければならない、この世界の「真のあるべき姿」は、「人間の幸福の最大化」ではなく、「幸福を感じる全ての者の幸福の最大化」だということです。
だいぶ長くなりましたが、わたしはそんな理由から、少しだけ深い意味で「幸福の最大化」を理念として掲げています。
きっと、遠い遠い、今から何百年も未来の話になるだろうけど、いつか人間が人間以外の種族の幸せについて、真剣に考えることができる時代が来ることを信じて。
そしていつか、人間だけでなく、幸せを感じるすべての生き物の幸せが、世界中にあふれかえる時代が来ることを願って。
202X年
Profile:Akira Tohtani
職業:社会活動家、中小企業診断士、社会人大学生
趣味:生きること、本を読むこと、誰かの幸せを増やすこと、誰かの不幸を減らすこと
特技:猫をかぶること、嫌われること、現実逃避すること
好きな言葉:何とかなる、ギリギリ、いつかきっと、またね
嫌いな言葉:常識、当たり前、弱肉強食、自己責任、最近の若者は、さようなら